もてぎ7h参戦レポート(GOMA)
作成日:98/09/20
更新日:98/09/21
私は練習走行日前夜に茂木入りしました。
いつもは北ゲート前で朝まで待機ですが、耐久の参加台数を考えると止める場所があるかなぁ等と少し不安でした。
着いてみると、止まっている車の数にびっくり!少ない。
変なのぉ。と思いながらオータ号に横付けしたら・・・アキラが起きていた?(起こしたともいえるが)
暫くしてパドックに入れる事が判明し、車を移動。
「よかったぁ」と思う。
なぜなら、北ゲートにはトイレがない!
サーキットの受付では、北ゲートにトイレがあると言われるが、実際借りようとすると・・・
警備員さん「仮眠したり、お金も置いてあるから貸せない。基本的に下のam/pmで借りて下さい」と言われる。
早い時間や警備員さんによっては貸してくれるが、夜は事情を知ってしまった以上、am/pmまで車で連れていって貰っていた。
北ゲートに公衆電話を作るくらいなら、トイレを作って下さ〜い。
その夜はいつもなら我慢する飲み物も思う存分飲んで寝た。
[公式練習日]
昨夜のうちにピット取りをしておいたので、早く起きる事もなくのんびりと受付をする。
しかし、ピット割りが自由で良いのか?不安になり聞きに行くと
受付「予選日のピットでお願いします」と言われた。
考えてみればもっともなのだが、そういう細かい指示がない。
急いで戻り、報告し32番ピットにComp-us陣地を確保する。
次々にトランポが到着し、パドックは人と車で溢れてきた。
耐久が始まるんだ!と訳もなく気合が入ってしまう。
耐久で走るバイク。エンジンが壊れてしまったFZRはどうなったんだろう。
エンジンをかけてみると・・・なんか、今迄と音が違う。
その音は静かではあったけれど、フォンフォンフォ〜ン!(ちょっと違う?)
調子いいのかも???と期待をしながら、
一生懸命にペーパーをかけて、手伝いをしたカウルも交換。
そして、応援チームステッカー(?)を貼って
遂に生まれ変わった?FZR!!
三人は走るまで不安そうでしたが、走った後は笑顔でした。
そうなれば、第一目標の『予選通過』へまっしぐらです。
耐久の参加受付に行き、いつもながらの手際の悪さに苛々しながら長い時間待ち続け、車両通行証を追加で2枚貰おうとした時、
「1チーム4台までなんですぅ」とたよりなく答えた係員にHIROが威圧しながらも優しい口調で交渉し、結局2枚手に入れる事が出来ました。
さっすがぁ〜。と感心した私。
私の仕事はスプリントレース時と変わりなく、ガソリン購入、インナー洗濯、ヘルメットのシールド拭きです。
練習走行の時は何もする事がなく、暇な時間も多い(かといって周りを観光するような時間はない)のでヘルパー(雑用係)って
『ロードレースが好きか、お気に入りのライダーがいないと続かないよなぁ。』と思う時もたまにありますが・・・
普段の生活では全く意識しない、コンマ何秒の世界で明暗を分けるレースに魅力を感じる私は、よく練習走行にも参加しました。
練習走行時に通い続けたおかげで?スタンドのおじさんとは仲良しになりました。
いつもはのんびりと一人で働いているおじさんも今日からは二人体勢になっていました。ここでも耐久が始まった事を感じました。
が!待ち行列が出来ても一人一人に声をかけながら、いつもと変わらないおじさんを見て[ガソリンは早めに買いにいかないと]と思った。
[予選日]
みんなは7時からのモーニングを食べにいったが、すごい人とカフェテリアの回転の悪さで、食事はブリーフィングの後にしたHIROと私。
ブリーフィングでは敗者復活戦がある事、ピットロードでの安全スピード確保の為のパイロン設置の説明がされた。
敗者復活戦は関係ないと思っていた為「ふぅぅ〜ん 大変だなぁ。」程度の話だった。
パイロンの話は色々な人が細かく質問をしている。
資料の図が見にくいせいもあったのだろうが、『こんな狭い所でパイロンに接触したら20秒プラスに納得がいかない』方々が意見を言い続けた。
ライダーではない私には、主催者側の「安全確保の為の競技規則として、接触しないスピードでピットロードを走って下さい」
で理解出来た話なので、すこし滑稽にも感じたのだが、0.001秒の世界で争うロードレースでは大事な事だったのだろう。と自分に言い聞かせた。
そんなブリーフィングも参加賞を頂き、バタバタとした中で終了した。(いつもの事だ)
食事をすませて、戻ればすぐに予選Aグループ第一ライダーのスタート前チェックが始まる。
ライダーでない私でさえも緊張感が高まる。
Aグループの第一ライダーの走行が昨日に比べてタイムが速い事に気づく(昨日はBグループの方がAグループよりも1秒位速いタイムだった)
と言うことは、Bグループはもっと速くなるはず・・・ピンチ!と思った。
第一グループの走行が終了した時点では、50位以内の後半にいた。
第二ライダーがこのタイムを上回らない様に祈るしかない。
私は神頼みをしたから、大丈夫だ!と一人自信を持っていた。が、結果は51位。
バイクの事を考えて、第三ライダーのRSオータは軽く予選クリアータイムを出して、そうそうにPITIN。
敗者復活戦で使用するガソリンを買いに行った。
おじさんはいつものように「もう走ったの?」のにこやかに聞いて来た。
「これから、又走るんです。これで頑張らないと、明日走れないから」と答えると、
「今の人もそうだったよ」と言った。
レース中の給油作業をするのも見るのも初めてな私だがPIT作業の時間計測をする事になった。
給油作業は1分で他の作業は出来ない。どのタイミングからの計測かも定かではないので、32番ピット担当のオフィシャルにしつこく確認したり、
1分の合図に笛を吹いてもらう事を頼んだりと普段は変に気の弱い私だが、こーゆー時に図々しい行動に出られるのが不思議だ。
これで、駄目だったらどうしよう。決勝用のTシャツも着れない、明日手伝いにくる人もいるのに等と色々な事が頭の中を廻って行く。
私の神頼みは叶わないのか?でも今までロードレースの事で頼んだ事はほとんど叶って来たので、今度こそ大丈夫と言い聞かせた。
敗者復活戦が始まった。
給油作業をしても掲示板には常に上位に78が点灯されていたが、チェッカーまでは何が起こるかわからない。
その時HIROに13秒が出た。昨日まで目標は15秒と言っていたのに・・・。
アキラは「こけないで戻ってこいよぉ。」と不安そうに言い続けていた。
もし、これで決勝に出場出来なかったとしても回りの人はきっと「頑張ったのだから」と励ますだろう。
でも私は違う。ここまで頑張ったのだから、やっぱり結果を出して欲しい!と
チェッカーが振られた!HIRO最終コーナーを立ち上がり、プラットフォーム寄りに走ってきた。
明日走れるんだ! 敗者復活戦でこんなに感動していたら、明日はどうなるんだろう。
[決勝日]
昨日の興奮もさめないうちに、決勝がやってきた。
昨夜HIROが作成した作業分担表の説明を聞いた後、一部では足りないと思い、受付でコピーを頼んだ。
私 「おいくらですか?」
受付「いえ、結構です」とタダでしてくれた。
その後にコピーに行ったが、その時は違う人で「一枚、20円です」と言われた。(やはり茂木だと思った)
タイム計測と記入方法・ピットパスの受け渡し(4枚を6人で使う為)・ガソリン購入等ヘルパーを集めて確認をした。
準備はOK!
今日の天気は雨が降り出してもおかしくない曇り空だった。雨が苦手なHIROの時はウェットにならない事を祈る。
試練のように?アキラからHIROへのライダー交替時に雨が強くなり、タイヤ交換もする事になってしまった。
PITOUTしてすぐに、雨がやむ。茂木はS字とセカンドアンダー以外は乾きが早いと聞いていた。
3周目を走る頃には、HIROが足を出した。普段はPITINの合図なのだが、緊張のあまり迅速に対応出来ず、もたもたしていた。
しかし、みのさんが合図をPITに伝えてくれて、タイヤ交換の準備がされていた。
スリックに履き替え、再度PITOUT!そして、HIROからRSオータへとライダー交替。
RSオータの走行も今まで走れなかった分を取り戻すかの様に気合が入っていた。
緊張の中にもライディングを楽しんでいる三人を見て、私もうれしい気分になった。
いつもは三人のライディングをプラットフォームで応援している私ですが、アキラ・RSオータの計測担当でない私は、
モニターを見つめて応援しなくてはならないのが残念でした。
お腹すいたなぁ〜。気が付いたら一時を過ぎている。お昼はどうする?周りのピットでは、スパゲティを茹でたり、なべを作ったりしている。
皆のお弁当を買いにいったが、時間が時間な為『やきそば』しかなかった。
調整の出来る作業についていて、車の運転が出来る人=トシ(HIRO弟、そしてこのFZRの持ち主)に頼む。
「12人分のお昼を適当に飲み物と買って来て」と頼んだ。
茂木のすぐ下にam/pmがあるが、ここでの人が買いに行っていたとすると・・・離れたコンビニまで行くようだ。
みんなもお腹が減って限界に近くなった頃、トシが大量の食べ物を買って戻って来た。(感謝)
エネルギーも補給して、また頑張るぞ!
そういえば、今日は一度もガソリンを買いに行っていない。おじさんはいつも通り皆に声をかけながら売っているのかなぁ。
ふとそんな事を考える位、心に余裕が出来た。
三人も最後の走行前には「最後だから、楽しんでこいよ」と声をかけあっていた。
そして、自分の最後の走行が終わったアキラやHIROはとてもすがすがしい顔をしていた。
32番ピット担当のオフィシャルにも、もうPIT作業のない事を報告し、お礼を言う。
オフィシャルも今まで見せなかった様な笑顔で応えてくれた。
RSオータがそろそろ終わるタイヤで最後の走行をしている。
チェッカーの10分前ともなると、他のチームも皆プラットフォームに集まってきた。大勢のチーム員が最終ライダーの走行を応援していた。
チェッカーが振られ、RSオータが最終コーナーを立ち上がって来ました。
何か心の奧からこみ上げてくるものがあり、知らない間に右手を上げて、奇声を揚げていました。
自分の感情を体全体で表現したのは何年、いえ何十年ぶりだろう。こんな素直に感情を出せた事にも嬉しくなりました。
ヘルパーから見た耐久レポートでした。
以上
[総括]に戻る
[’98もてぎ7時間耐久ロードレース参戦計画]に戻る
[Compus Road Racing]に戻る