アキラ
作成日:99/06/10
更新日:99/06/11

5月16日に筑波で行われる、イーストエリア選手権GP250クラスにエントリーしたアキラ。98TZでのデビューレースとなる。
99年。彼にとって今年は勝負の年。無理をして1年落ちのTZを手にし、自分がどこまで行けるのか、自分はどれくらい速いのか。
エリアで。全日本で・・・。日本の最高峰に身を投じ、選手としての自分を試す。

そう。そんな、そんなシーズンを迎えるはずだった・・・。



5月14日、金曜日。前日までの状況では、ひょっとして週末は休日出勤の可能性が強かった俺。
今週末はアキラが筑波にエントリーしている。前回のもてぎも結局激務に追われ、応援に行く事が出来なかった。98TZでの初戦となる今回こそはなんとしも行かねばならん。
やや強引にスケジュールを調整し、何とか週末の休日出勤を返上した。今日は早めに仕事を切り上げ、速効で筑波へ向かう。

特別スポーツ走行日の今日。アキラは昨日のうちにdevilと筑波入りしている。ふと時計に目を向けると、午前10時過ぎ。たった1本の特スポを走り終えた頃だ。

(もう、走り終わった頃だな。レース前はいつもそうだけど、今回は特に気合入ってたからなぁ。何秒でたかな。)

平日昼間の仕事中にしては珍しく携帯電話が鳴る。

俺:「はい。もしもし?」

アキラ:「あ。もしもし。磯間です。」

俺:「おぉ。ドライで走れたべ?どうだった?」

アキラ:「こっ、骨折しました・・・・。」

俺:「はぁっ??」

最終コーナー出口でエンジンが焼き付き、ハイサイド転倒。前にも折った事のある左手首を骨折し、今回のレースはリタイヤ。今から支度して帰る所だと言う。



翌日の土曜日。本当ならば予選当日だった今日、アキラの家に様子を見に行く。
患部は大きく腫れており、うっ血で左手全体がむくんでいる。かなり痛そう。
来週の月曜には入院し、翌火曜日に手術するとの事。折れた骨はレントゲンに写らず、手術してみないと怪我の大きさが分からないらしい。

左手首だし、3ヶ月後の7耐には楽勝で間に合うだろうと楽観視している俺。
今までだってそうだった。こいつは人の心配をよそに、いつもケロッと平気な顔をしていた。
しかし、今回だけは違っていた。たまに笑顔を見せるものの、帰り際まで、不安な心情を伺う事の出来る暗い表情が消える事は無かった。

でも俺は信じていた。いや、信じたかったのかもしれない。アキラ抜きの7耐など考えられなかったからだ。



1週間後の土曜日、入院先の病院へ見舞いに行く。
既に痛みは無くなっており、見た目は元気そう。
手術の結果、医師から伝えられた内容を坦々と話すアキラ。

骨折した個所は相当に骨の付きにくい、面倒な折れ方をしている。
とりあえず裏側に落ちた骨片を元の位置に戻し、ピンにより固定。接合部に骨が形成されるのを待つ。
しかし、その可能性はかなり低く、ぎりぎり3ヶ月待っても骨が付かない場合、骨移植の再手術を行い、又様子を見る事になる。
いずれにしても完治まではかなりの時間を必要とするようだ。
7耐に出場出来ない事は言うに及ばず、再び選手として復帰できるのはいつになるのか。

一通りの状況説明を行い、うつむきがちにジッと動かす事の出来ない自分の左手首を見つめるアキラ。



病院の帰り道。車の中。
予想をはるかに上回る、最悪の事態となっていた。
バイクならクランクが焼き付こうがフレームが折れようが何とでもやりようがある。

アキラを失った今年の7耐。どうする・・・どうすればいい・・・。悩み、途方に暮れる俺達。

他の人に第3ライダーとして走ってもらうか?しかし、Compusは3人揃って始めてCompusだ。Compusとして出れない7耐なんて・・・。

こーなったら俺とおーたの2人でやるか?いや、いっその事・・・。そんな考えがふと頭をかすめた。

以上

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